疲労 について
「もう疲れた」
人は口にする
「もう限界だ」
人は口にする
「これ以上できない」
また、人は口にする。
肉体には限界があるようだ。
サウナに48時間入っているのが無理なように
555時間休みなしで走り続けるのが無理なように
ときに精神には限界がないと思っていた
精神は脳だから脳の制限など優に超えれると思っていた
無意識の可能性に全幅の信頼を置いていた
そういった偏った知識の中で
偏った生活をして
割かし広い幅だった道を踏み外した
何か超えてはいけないラインを超えても
超人になるだけで狂うとまでは思っていなかった
浅はかだった
「0」
長年の病床人生においてはっきりわかったのは
「可能性は無限だが無限の可能性を全幅に信じるのは子供の作法」
ということだ
イメージの中なら無限の可能性を堪能できる
意識の書き換えもまま必要な場面もあるだろう
しかし「疲労」はフレッシュを重ねても体に刻まれるのかもしれない
三十歳になって一番大切に感じたのは
「精神、肉体、魂ともに健康で豊かであること」
疲労がなんだというと大好きなおばあちゃん叱られてしまうかもしれないが
「疲労」とどう付き合うかが、どれだけ楽しき人生を送れるか
につながっているのではないかと思うの