ゆっくり早く

ゆっくり早くエッセイを執筆します。どうか長い目でよろしくお願いします。読者登録されると励みになります。星もうれしいです。まだ慣れてません。

煙草だけが現実だ(未完成)

 

バカの空回りといえば

まだ名前があるだけで体がいい

 

お前の本性を晒す場所があるだけ

まだ6年前より丁度いい

 

誰もいない部屋でくまと一人

眠剤とカクテル

 

斜めに傾けた首がずぶ濡れ

爛れた皮膚に衣擦れ暮れ

 

戦う姿に参拝

抗う あなたに ガンジャ

 

幼稚な瞳の正しさ

高貴な生まれさ下がりな

 

 

 


 
 kokoroも体も調子いい 心 は 壊れる でも ガラスじゃないし あの時壊れた心は 今 輝きを取り戻した 心は戻る 小さくなってるだけど大きくなる どんどん大きくなる
心は 自分の思いの蓄積された空間だ だから俺は 無性に 真っ白ななにもない部屋を想像したくなる時がある 

自分が真っ白い部屋で ああ ああ ああ ああ ああ と繰り返してるとき 僕の心は 再び燃え出す 轟轟と不思議な色をした私の心


ぎざぎざだった 俺はそれを否定しないけど ね あるじゃん ね

俺わね 君を救いたいんだよ 君が苦しそうなのが たまらなく悔しいんだよ

君は笑うじゃないか 苦しい時も 激しい時も つらい時も いらだつときも 心がむしゃくしゃするときも 羨ましい時も 望むときも
笑顔が売りなのはわかるけど タイミング見てでいいんじゃないの 俺はそんなつらい選択ならしないかな

お前が苦しみに耐えてる 囚われているとき 俺は 窮屈だな バカめ ありがとうでいいじゃないか
って思うんだ お前マジ昨日だって六時間は損したぞ ほんとあほみたいに寝てたけどな

それでいいんじゃない お前最善は尽くしてるもんな お前なら大丈夫 俺知ってるもん お前が ストロングマン になりたがってるの お前は強いよ 大丈夫だよ

感謝

ボブマーリーと瞑想①

大学生のころふと

〇ィレッジバンガードでCDを買った

 

自分は好きではないがコレクションみたいな感覚で

ボブマーリーのベスト?かな_?を買った。

 

一人下北沢の〇ィレッジバンガードから帰る途中

「これで俺も幸せになれるかな~」とか浮かれてた

 

部屋に帰りやけに綺麗な床を見てにっこりし

さあ聴くぞーと意気込みながらプレイステーションにCDを入れた。

 

 

 

全然よくなかった。というか反吐が出た。

 

当時は愛煙家だったので

聞きながら煙草を黙々と吸った。

 

いやまて

世界で愛されてるんだぞ?

 

にかいめ

 

それでもだめだった(当時)。

 

何が俺を否定するんだ_?

 

 

ボブマーリーは「じーっと」聴くものではなく

今おもうのは、少し体を揺らしたり、友達と一緒に聴くものだと思う

 

PEACEは一人じゃ叶わないのかもしれない。

LOVEも共同作業かもしれない。

 

平和も愛も知ったこっちゃない年頃だったので

ボブマーリーの愛とか平和は心に毒ですらあった。

 

続く

犠牲と対価

君は犠牲にしたと言った
僕は対価に値するらしい

それは

損なことなのか
と聞いてみた 何の気なしに それとなく

それで、

損ではないが満たされない孤独を
一重に癒えないこの病を
あなたの硬いおつむで満たせるとは

そして
癒せるとは

私は今の時点では思えないわ
それを損だのなんだのといったところで
しょうがないとは思うけど
それでもやっぱりあなたに私が投げかける言葉が
こんなに暴力的で排他的で悲しい色をしているのは

あなたをあなたに好きにさせられていて
そしてそれが恋愛の形といえばそれはそれでもう話は終わりだから
別に言及しないけど

やっぱり満たされない孤独に私が押しつぶされそうで
そしてあなたは非力な腕力で私の腕を引っ張るから

「とても痛い」のよ

滑稽に思うかも知れないけど
あなたに愛されるのは
針のむしろに落とされるくらい
「とても痛い」のよ

私があなたを愛してると思う?
本当に?

悲しい人ね
自分のみじかな人の気持ちさえ履き違えるなんて

疲労 について

 

「もう疲れた」

人は口にする

 

「もう限界だ」

人は口にする

 

「これ以上できない」

また、人は口にする。

 

肉体には限界があるようだ。

サウナに48時間入っているのが無理なように

555時間休みなしで走り続けるのが無理なように

 

ときに精神には限界がないと思っていた

精神は脳だから脳の制限など優に超えれると思っていた

無意識の可能性に全幅の信頼を置いていた

 

そういった偏った知識の中で

偏った生活をして

割かし広い幅だった道を踏み外した

 

何か超えてはいけないラインを超えても

超人になるだけで狂うとまでは思っていなかった

 

浅はかだった

 

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長年の病床人生においてはっきりわかったのは

「可能性は無限だが無限の可能性を全幅に信じるのは子供の作法」

ということだ

 

イメージの中なら無限の可能性を堪能できる

意識の書き換えもまま必要な場面もあるだろう

 

しかし「疲労」はフレッシュを重ねても体に刻まれるのかもしれない

三十歳になって一番大切に感じたのは

「精神、肉体、魂ともに健康で豊かであること」

 

疲労がなんだというと大好きなおばあちゃん叱られてしまうかもしれないが

疲労」とどう付き合うかが、どれだけ楽しき人生を送れるか

 

につながっているのではないかと思うの

お前の中の俺 2017年11月30日 木曜日 13:13

お前の中の俺

2017年11月30日 木曜日

13:13

始まりはふと覚えた怒り

飲み込まれて気付いたがそこにあるのは現実に起きる善と対極の波及

 

肌で触れられるもの以外の何かを君は信じるだろうか

ぼくの世界は何者かでできている

 

それは生き物なのか生き物という時に踊らされているだけで

揺れているのかそれは揺らぎなのか

 

君の眼に映るそれは果たして絶対なのか

そこを疑うことなく生きる幼子に戻れるのなら

 

どんな代償でも払おう

 

今のぼくは目の前の何かがどう映っているのかについての明確さがない

君たちだって幻想の中の生き物なのかもしれないし

僕は生き物の中の幻想なのかもしれない

 

触って温もりを感じると

僕は安堵する

 

そしてふと空を見上げると

やはりこんな日は雨が降っている