ゆっくり早く 櫻井響吾

ゆっくり早くエッセイを執筆します。どうか長い目でよろしくお願いします。

身体十六茶

 

自分の体質に合わせて痩せたり太ったりしてるならいいんだけどね

 

っていうのが血筋か

血筋に逆らうのもありかもしれないけど

 

モデルって別にモデルじゃないんじゃないかな

 

桜井さんのダルマはすごい好きだけど

大変だもんきっと誰かのモデルになってるひと

 

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たまには怖がらず明日を迎えてみたい

の続きを見てるかと思うと感動が止まらない

相変わらず英語何言ってるか分からない自分愛してる😘

 

文化の流入で現金の流れを変えてる会社

物流の流入で現金と流れてる会社

ものの良し悪しで含蓄を垂れてるひと

道理でお家芸もアルヨ☆なわけだ

 

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今日初めて見たけど妹が作ったお人形さん(´・ω・`)

可愛すぎるしすごく丁寧

 

無いわけがない

無理をして抑えてる

 

いくら悟ろうが

カッコつけようが

変換しようが

 

制約はある

それが人間の尊厳だ

 

食うか食われるかのジュラシックパークみたいな世界だとでも思うているのか

 

ある種その世界はあるかも知らない

そこに僕はいない

 

遺体

 

というか制約は場に縛られる

ルールは経典じゃなくモラルだ

 

それを壊すのが愛嬌だ

愛嬌で壊してやろう

 

斜めに飛ぶなら

引っ張ってあげてやろう

 

凧揚げだ

風は誰が吹かすのか

 

入り口と出口だ

 

じゃあ入り口はどこだ

視界か?

自戒にはないぞ

それは人間に永遠に悟りがない

万札だろ

というブッ高い講座 

形のないものをdessinする

物に神様が宿るという概念がある

私は学者ではない

 

物の神様といえばなんと怪しげだろうか

これを分解してゆく。

 

物の神様=

(人間の視覚+design−試用感)×(見続けた年月+そこにあり続けた期間)×思い出

 

who dwelt in things=(Human vision+見た目-Feeling of useThe period that has been there)×memories

 

またいずれ。

百も承知だが僕は医者でない

医者に感化された人間だ。

 

点滴のような文章を書きたいと思ったが、

僕には医者のような資格がない。

 

僕だってバカだけど、

そのほんとうの資格なんて必要ないとはわかっているが、

資格には沢山の意味があるし、沢山の意味が資格にはある。

 

人にこの人は点滴が必要だなとは思うことはある。

しかし点滴とは果たして如何様なもので、如何様に如何様に。

 

文章をこねくり回すのはパン屋の仕事だ。

文章を垂れ流すのは週刊誌の仕事だ。

 

僕は量と安定的な支援ができるのか。

これが点滴屋さんの資格だと思う。

 

というか資格は持つものであり、今自分が持っているものが資格になる。

そして資格が意味になるのは現代社会の安全な歩き方だと思うというと、

ロックンローラーが怒り出すが、

僕は何か資格が欲しい。

 

それは名刺でもいい。

肩書きだって立派な資格だ。

そのことを認めたいと死ぬなら思う。

僕はいつか死ぬんだ。

自分がいつか死ぬことに気づいた日。

ということに意識を置くのは二流だということがわかった。

というのもとにかく創作をしていかなくてはいけないし、

言葉を作るような方向は難しいというより、

その言葉の流布まで考えていたかということに気づいた。

 

言葉を芸術と置き換えられるほどの技術が欲しいばかりであるが、

鍛錬はこれからである。

 

流布は流すことだが最上級の布を意図もなしに織ることはできないし、

それが最上級だとしてもそのことに専念する間にペーズリーは流れゆくということだ。

 

このように意味深で芸術を履き違えた自分が憎い。

 

 

ひどい落ち込みから友人の力を借りてひともずもちなおしたし、

というより長い友人であり又あり続けるであろう彼と、

よそ見している僕の年の差以上の遍歴を感じて、

他覚による自覚の不確かさを思い知った。

 

コーヒーの例がとても印象的であった。

彼はぎょうかいのにんげんで自分ができると思い込んでいるラインが、

自分がコーヒーについて精通したコーヒーバリスタであるというラインが甘かったといった。

 

その人間がコーヒーについて語るラインで、

そのラインを超えている人間はゆうにごまんといるし、

自分はまだ種類を知りきっていないという。

 

そして僕が先程言った他覚による自覚の不確かさとはこのことで、

僕は少し格好つけて一杯のコーヒーでコーヒーについて知りたいし完全に知りたいと言った。

 

愚かな大学中退の無様な死に様である。

 

これはおそらく二対の物体として思考する人間美しさの表現として的確だとおもうのだが、

文化についてというよりもおそらく学術的な嗜好の違いではないかとおもう。

 

彼の実験社会学的な見地と僕の実践哲学的な見地とというのは、

社会と個人という二対の構造ではないかと思うのだ。

 

これ以上の考察は必要か不必要かの審判は下すべきだろう。

 

それは立場の違いと言えば愚かであり、

僕が思うに必死さであると思う。

 

必ず死ぬ上で死ぬことの自覚である。

 

今の生きるこの瞬間の温度である

彼の言葉で印象的だったのは「温度」である。

 

要は熱量である。

物質の持つ質量である。

彼はいささか太りすぎていた。

 

というのは余談である。

 

言葉に対する概念の共通性や音楽に対するバイブスはある種の一致を見せたが

今考えれば彼の技量によって僕を引き上げたということだと思う。

 

僕があげられたものといえばなんだろう。

寝起きのジャスミン茶ではないか。

それだけじゃ悔しいし、それは彼の金で買ったものだ。

 

素直に文章を書く勇気をくれた彼の、

ステージ上での振る舞いを見る機会がほどなく訪れるが、

その時は斜に構えず大声で声援を送ろうと思う。

 

そんな夢を見ながら。

 

しかし朝の弱い人間のあと五分の終わりない連続を受け入れる寛容な愛情と引き換えに

私は長い帰路についている。f:id:free-shunta:20180727100538j:image

 

そのおかげで僕は点滴のような文章が書きたいと思った。

これが結論で、僕の価値観だ。

待つ人に思われることについて

思う側は簡単だがこの時の「主体性を自分自身に置く」のは「主体性」という言葉から考えると簡単である。

前回私がギターを練習しなかった理由はそのギターを練習する前に私がこれを書いているからである。

というのも、この文章を書くことによって不可解な自分自身を作らないと作詞家というものはやってられないからである。ということで決めたことがある。私は彼にこの文章を送ることにしよう。そう言った意味で私はラブレターを書くと同時に作詞家としてやっていきたいという自分を彼に売り込むことができるのである。一筆二鳥である。

 

待ち人来ずというのも不可解である。

待つことでくると思われているのであろうが、待ち人は来ない。

君と待ち合わせていたのは過去なのに過去がやってくるなんてありえるか。

というか君そもそももう僕より オ シ ャ レ 。

 

tap to my rhythm with emotion.

君の音で僕を 逝かせて。